親友が亡くなるということ

11月末、保育園(3歳)からの友人であるS君が、突然の心筋梗塞で亡くなりました。2カ月前にbarヨシローにて麻雀卓を囲み、2週間前には、電話でくだらない話をしていた矢先でした。彼は、小学校から才能を発揮し、1学年1クラスしかない学校でしたが、常にダントツのトップを走り続けていました。スポーツも勉強も文句のつけようない成績で、例えるなら、当時の私たちにとって大谷翔平選手のような存在でした。三つの小学校から集まる勝浦中学校でも、生徒会長になり、バスケット部ではキャプテンとして数十年ぶりに県大会へ導き、同年代では知らない人はいないほど有名で、村の神童とまで言われた人物だったのです。入学した高校は、このエリアでは群を抜く進学校でしたが、入学時は同期360人の中で一桁順位の成績でした。当時の彼は、友人でありながら、まともに話すことができないほど、雲の上の存在になっていました。

しかし、高校から歯車が狂い始めました。通学が遠く、部活も入らず、休学が増えたうえ、近くの高校に進学していた暇な私たちが遊びに誘っていたことも要因の一つだったのかもしれません。しばしば徹夜で麻雀したりしているうちに、どうしても勉学が二の次になってしまいました。大学は一浪して一流大学を目指すも、結果はMARCHにも合格できず、3流と言われる大学に進学しました。このころから、残念ながら己のプライドが許さない人生になっていったように感じるのです。中学、高校時代を知る人を避けるようになっていったのですが、保育園からの付き合いがある私たちは、高校、大学、社会人になってもしつこく誘い、60年以上付き合いを続けていきました。

そんなS君は、生涯単身者であり、東京の大手信販会社で定年を迎え、両親が残した実家に戻って2年になっていました。帰ってきたときは、車がないと生活できないエリアなので、保育園からの友人メンバーが一緒車を買い求め、庭の草刈りまで手伝いました。しかし、この2年間は近所とのコミュニケーションも上手くできず、私たち友人が一方的に、いろいろな場に誘い出すような生活だったのです。高血圧と思われる体型だけに、運動や病院に行くように何度も伝えてきましたが、残念ながら耳を傾けてはくれませんでした。家族も遠く離れた弟(単身)と、先に亡くなった兄の家族(交流はなかったようです)という。親戚はいるものの父の代の付き合いであり、連絡先も知らない状況でした。唯一、地元の寺の住職(私の中学校担任)が手紙で連絡を取っていました。最も身近にいたのは、私たち友人だったから、もっとしつこく言って病院へ連れていけば良かった。「子どもじゃないからと」それ以上の行動に移さなかったのです。電話はこちらからばかりで、S君から連絡が入ることもありませんでした。

高校から社会人にかけて挫折を味わったこと(そのように見えていました)で、穏やかな性格に変わりましたが、熱意を感じない生き方に見えるようになってしまいました。マイナス思考の会話も多く、社交性はどんどん失っていったのです。子どもの時にあれだけ注目されていたからなのか、知り合いと会う可能性のあるスーパーや地元の祭りなども参加を避けていたほどです。私たち友人は、本音で話そうと何度も試みましたが、腹を割って会話することは少なくなっていきました。子どもの時に「圧倒的なリーダー」だったこともあり、我々に注意されることやアドバイスされることがいやだったのかもしれません。

残された私たち友人は、今後、どのように対応していくのでしょうか。きっと、忘れないためにも年に数度会って、彼を思い出していくのでしょうね。そのような年齢になってきたということかもしれませんが、それにしても早すぎる別れになったと感じています。身内以外でこれだけ近い関係だからか、とても他人事と思えません。私の年齢で亡くなるということは、家族や隣人、友人などの廻りの人たちに、少なからず迷惑をかけることになると気づかされました。私自身、健康に注意を払い、周りの意見を素直に受け入れ、行動に移していこうと思います。また、同年代の友人たちにも伝えていかなければなりません。少しでも長く、楽しい人たちと楽しい時間を共有したいから、遠慮せず健康について話しかけていこうと思います。

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