晴耕雨読というが

昔から、「晴耕雨読」が、ある程度年齢を重ねた後の理想の生活だと言われています。しかし、現代の人たちは、どんどん環境が変わってきています。まず、「晴耕」ができる人が少なくなっています。都会に住む人は、「耕」の土地もなければ、「漁」の海もない。高齢になっても、元気なうちは「雇用」という選択をするようになっているのは、体を動かす労働に慣れていないこともあります。もちろん、ゴルフやテニス、ランニングを趣味にしている人もいますが、「晴耕」のようなことは今更できないのでしょう。

同じ働くにしても、「雇用されている」と「自分でコントロールできる」では、精神的に大きく変わります。残念ながら、大都市に住む多くの方が、やることがなくて、公園やショッピングセンターに集まっているような風景を目にします。一方、地方都市や田園地域では、ほとんどの人が「耕や漁」を行っているのです。地方には、公園やショッピングセンターが少ないことも理由の一つかもしれません。また、「雨読」はどこに住んでいてもできますが、活字を読む習慣が薄れています。テレビだけでなく、ネットやスマホの普及で、「学ぶ」ことが変化しているのです。残念ながら、街の書店は減少し、新聞の購読者も激減しています。現在50歳代以下の人たちは、読むという行動を紙媒体から得ることが、より少なくなっていくでしょう。

日本社会は、本当にこれで良いのでしょうか。江戸時代末期には「世界一の識字率」を誇り、国民が高いレベルで知識や礼儀を持っていたから、植民地にならなかったと言われています。日本は、確かに貧乏だったかもしれませんが、「晴耕雨読」を実践していた人たちが沢山いたのではないでしょうか。だからこそ、明治維新を行い、短い期間で先進国の仲間入りできるほど発展してきたと思うのです。この「真面目な国民生活」こそが、民度を高め、幸福な社会をもたらすと思っています。

私は、アクティブシニア層こそ2拠点居住を実践するべきではないかと思うのです。「晴耕や漁」ができる場所で住まいを借りる、または、一時滞在できる施設(ゲストハウス)を利用する社会に変えていくことです。地方都市では、農業用地はたくさんあるものの、耕作者がいない現実があります。農業や漁業を教える施設や仕組みが存在している地方都市もありますが、そのような場所ほど、短期滞在型の「快適なゲストハウス」がないのです。農業家屋の一角に滞在することは、都会の人には受け入れられないのです。二つをマッチングさせる仕組みができないかと考えています。私も、その一環として自宅兼事務所を「民泊施設」に登録しています。

「雨読」を進めるには、発表の場をつくることも解決策の一つではないかと考えています。市民講座や小学校の講演でも良いですが、各地に発表のグループをつくることが必要ではないかと思います。自分の教養や知識を高めることが第一義ですが、「世のため、人のため」になっているという実感がほしいものです。各地の図書館主催で「読書会」のグループができないかと思っています。また、最も簡単なのは、「個人のホームページ」「ブログ」などを立ち上げ、発表の場をつくり上げていくことです。読者が増えれば、続けることができます。Goo blogの「さわやか易」が良い例です。

私も、アクティブシニアに突入したと実感しています。まだまだ「晴耕雨読」を実践できてはいませんが、「雨読」だけは出来てきたと思っています。「横浜中央木鶏クラブ」という読書会に20年ほど在籍し、ホームページ上に「笑顔デザイナーが行く」と「ビジネスコラム」を発表の場をつくり始めています。反響があれば、一生続けられることができると信じています。問題は「晴耕」であり、十分な状態ではありません。「ひとり不動産ビジネス」といった仕組みを立ち上げ、達成できないかと思っていますが、まだまだ、不十分ですね。

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