坂の上の坂

初の公募による中学校長であった藤原和博氏の著書「坂の上の坂」を読み、自分はどうだったのか、横軸を年齢、縦軸を充実量(やりがい)としてグラフにしてみたのです。物心がついた小学校から坂を登りはじめ、中学3年間は平地、高校2年生までは下り坂、3年生で急坂の登り、大学は平地から下り、社会人1年目から6年目までは坂を登り、30歳前後は急坂を下り、32歳から40歳までは急坂を登った。それから45歳までは下り、45歳から5年程度緩やかな坂を登った。55歳前後の2年間は急坂を登り、60歳で坂を登って、65歳から急坂を登ることになりました。

考えてみると、登り坂はなんでも面白く知識を吸収していった時期でした。小学校ではクラスで2番以内を維持し、大学受験期はむきになって勉強しました。N社に入社して、自分の実力ではお客様に迷惑をかけることを知ることになり、必死に設計と現場を学んだ。32歳からは営業所の所長として、仕入れから販売、設計、施工、アフターまで行い、実務とマネージメントを磨いた。この時期はイケイケ、本当に充実していました。その後、工務店や住宅会社のコンサル業務(販売、商品企画)、東北の仮設住宅1,000戸建築、非住宅建築受注担当、住宅会社社長など、充実した上り坂の時期がありました。一方、28歳から32歳までは、本社の企画部門で毎日、会議や打ち合わせ。40歳、50歳前後も本社勤めで、会議、会議。意欲も下がり、新しい知識も経験を身に付けることがなかった。お客様の役に立っている、自分の技術が成長しているといった感覚がないのです。32歳の頃は、自ら人事異動をお願いしたほど、心が病んでいた。今は、起業したこともあり、急坂を駆け上がっていると感じています。

分かったことは、「人間として成長している」「知識、技術を学んでいる」「世のため、人のために役に立っている」となっている状態になると、生きている、充実していると感じるということです。大手の組織に居ると、最先端の優秀な成績を収めた人は、課長になり、部長になり、役員になってマネージメントや経営を任されるといったレールが敷かれます。しかし、最先端の現場が得意(プレーヤー)でも、マネージメントが苦手の人もいる。彼らは苦しみながら課長や部長職を行うが、プレーヤーだから、十分に役職の業務を全うできない。部下を育てなければならない、評価もしなければならない、会議やミーティングもしなければならない。時間がどんどん取られ、充実感を持てる上記の状態ではなくなっていくのです。野球で言えば、成果を残した選手が、監督やコーチで成果が出せるか、といったことです。優秀な選手がどんどんコーチや監督になれば、選手層は薄くなり、思ったような結果は出てこない。一方、会社から離れてしまうと、プレーヤーでなければ生きていけない。終身雇用ではなくなる時代が、すぐそこまで来ています。ほとんどの人が、坂を登って(定年退職)もその先の長い道があり、坂道を下るのか、登っていくのかが試される時代なのです。

それではどうするのが良いのか。私見ですが、ある一定の年齢になる前に、会社に使われるから、会社を利用して「将来」を築くための力をつけるようにすることです。まずは、「人的ネットワーク」を構築する。最初は会社への信頼から取引していただけるかもしれませんが、取引中に個人への信頼をどこまでつけられるかです。また、地域コミュニティー、趣味のコミュニティーなどでも、嫌がる業務も引き受け、信頼を得られるか。信頼を得た人的ネットワークほど強い味方はない。次は、生き方を明確にすることではないでしょうか。「何のために生きるのか」「何が楽しいことなのか」を突き詰めて、しっかり持つことではないでしょうか。私が勧めるのは、「楽しいこと優先」「世のため、人のため」に注力することです。ゴミを拾う、子ども食堂を提供する、スポーツを教えるなど、人のためになる小さなことの積み重ねではないでしょうか。最後は、技術や知識など、人の役に立つ能力を磨くことですが、これは会社勤めの時に、会社を利用して、仕事に一生懸命取り組むことでしかないと思います。会社以外で講習や学校に行く人がいますが、まずは、目の前の仕事に集中することの方が、早く身に付きますし、業績に貢献でき、信頼も得られると考えています。

坂の上の坂は、どんどん長くなってきています。18歳から60歳まで働く時間以上に長いのです。私の場合は、65歳を過ぎて気づいたことですが、上記に書いたとおり、坂の上の坂は、上り坂(充実感)になっています。