少子化はどうすればいいのか

 去年の国勢調査の結果を聞くまでもなく、全国で人口の自然減が続いています。東京都市圏では、転入が転出を上回る「社会増」があり、総人口が減少していないためわかりにくいと思いますが、地方都市では深刻です。例えば、私が生まれた外房地区の勝浦市です。昭和33年頃に生まれた私には同級生が400人前後いましたが、令和4年に生まれた子供は54人しかいません。気候が良く移住を促しているものの、高齢者が中心です。市内には国際武道大学があり、学生を呼び込んではいるものの、卒業後の就職先がないどころか、バイト先すらないのでこの地に根付くこともない。私は、社会問題になっている高齢化や人口の減少よりも、少子化のほうが深刻だと思っています。このままでは、勝浦という地名は残っても、子どもが住んでいない町になってしまうのではないかと危惧しています。

 結婚した夫婦は、子どもを2人ほしいといいます。そうなると、急激に減少することはなくなりますが、なんといっても婚姻数が激減していることが問題であり、生涯独身率は男性で30%、女性で20%に迫ろうとしています。そういう人たちは、結婚と「幸せな人生」とが結びつかないのでしょう。また、子育ても「幸せな人生」の足かせと考えてしまっているのかもしれません。確かに、責任も重くなり、経済的にも時間的にも大きく制約されてしまいます。特に女性は、大きな制限を受けることは確かなのです。政治家でも評論家でもないですが、住宅を考える設計という生業上、少子化が進みすぎると家族が少なくなり、仕事がなくなっていきますよね。ほんとうに困ります(笑い)。

 こうした状況を変えていくためには、大切なことが4つあると私は思っています。一つ目が、子育てをしてきた先輩たちが、「子どもを育て、成長し、その後の人生を見続けられることで、自分の人生が楽しく、豊かになっていく」といったことをもっと表現することです。「苦労した、大変だ」を表現する人たちが、あまりにも多すぎてはいないでしょうか。それは、「自分をほめてほしい」といった心の叫びになっていると感じます。苦労はしたかもしれませんが、自分の子どもがいないことを想像してみてください。豊かな人生を過ごせたでしょうか?死ぬときに、自分の人生を「失敗」だと考える人が少ないのは、最後に発する言葉に「ありがとう」を選ぶ人が多いことからも分かります。

 二つ目が、子ども時代からの教育ではないかと思います。「自分の存在」がどんな意味を持っていて、家族だけではなく、いろんな人に世話になって、今が存在する。それをどう恩返しをしていくのか、それが人生の中で、大きな意味を持っているといった教育です。実務の前に、「人間学」を根付かせる必要があると考えています。どうしても、戦後の教育を受けた人たち(私も含め)は、公よりも個を重視しているのは無視できない。

 三つめが、社会構造を時代に合わせて変えていくといったことかもしれません。それは、明治時代からつくられた大企業や公務員といったサラリーマン主流の世の中から、家族という単位で生活を変えていく。例えば、家業に近い生活スタイルの普及ではないかと思っています。家族みんなで、家事や育児も行い、収入も得る。日本でも、そのようなことが残っている地域は、安心して子育てができるからです。そうした意味では、工場やオフィスに通勤するといったことが減少していくでしょうし、副業が認められ、ネットの普及や個人経営といった仕事の取り組み方が変わってきているのはよいことですね。四つ目が政策、社会を変える。これは政治家や学者が考え、手を打つことではないかと思います。

 ここまで色々といってきましたが、私は楽観視しています。人が次の代につなげていくというのは、神様が望んでいることで、絶えることはない。人間がそれを阻んでしまうことはあるかもしれませんが。人口が急激に増えたのは、大量生産が可能になった産業革命以降です。医療も進化し、食料も確保できるようになったからではないでしょうか。今は、大量生産ではなく、ネットでつながる時代に変わってきました。少しずつ、人としてどうあるべきかを体現できる、神様が想像した世界に戻っていくことを期待しています。

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