小さな土地活用と自宅
目黒田ご夫妻から相談があったのが、平成の30年ごろの夏のことです。奥様が、実家の跡地を相続したばかりの一部分の活用です。大部分はコインパーキングとして活用して、残った土地を妹さんと分割し、東道路に面した22坪の土地です […]
メゾネット型賃貸住宅は、太陽光発電とW収入源に
東日本大震災によって、日本のエネルギー政策が大きく変わりました。各地の原子力発電が稼働しなくなり、コストが高いとわかっていても、緊急的に天然ガスや石油などの火力発電に依存せざるを得ない。一方で、クリーンエネルギーの普及が […]
三日月湾に面する二世帯住宅
鈴本様ご夫婦から相談があったのは、平成も半ばに入った春頃のことです。ご主人の父親が亡くなって3年、「そろそろ、自分たち家族を中心とした住まいに建て替えよう」と思い立ったのです。それまでは、父親が建てた築20年の住まいを […]
東日本大震災直後、仙台へ向かう(2)
当時のN社は、会社の使命として木造住宅の耐震化を進めていたこともあり、「住まいは命を守るもの」というキーワードが社員に行き渡っていました。震災時の多賀城のプレカット工場の責任者は、社員の命が第一と考え、業務を止め、近くの […]
東日本大震災直後、仙台へ向かう(1)
NPO法人住まいの構造改革推進協会(住構協)を運営していたこともあり、大きな地震があると3日目の夜には、被災地に入る活動をしていました。倒れた家と倒れなかった家を比較し、その原因を調査するためには、早期に入らないと片付け […]
地方都市におけるマンション販売支援
かつてのN社の分譲住宅やマンションの販売方法は、徹底した宅配チラシ反響です。小学校学区内をターゲットとして、市場調査を兼ねながら、営業担当自らが街を見て廻るのです。チラシの内容は、第一段階が告知活動、次は問い合わせ、そし […]
「強・用・美」を提供する
高校の2年間は、理系クラスだったこともあり、大学受験では工学部や理学部が視野に入っていました。芸術系は「センスや能力」だけが見られるような気がしており、そこに自信が持てませんでした。医学系は命に直接係わることが怖かった。 […]
社員寮建築から賃貸住宅へ
千葉の総武線快速が停車する四街道駅から徒歩10分の場所に、事業を撤退した会社の所有で約200坪の売地があったのですが、メイン取引先の銀行として、土地の有効活用を考えていたのです。金融機関は、いつの時代も業績の良い会社へ設 […]
自宅の「耐震・断熱改修体験館」を活用して、笑顔を提供したい
私の自宅は、1992年に建てたもので、今年で築33年となります。当時、バブルが崩壊して数年が経っていましたが、いまだ100万戸をはるかに超える新設住宅着工戸数がありました。営業所の責任者だったこともあり、建築条件付き土地 […]
父からいただいた笑顔
父が亡くなって24年が経ちました。20代で戦争に巻き込まれ、夢であった和菓子屋をあきらめ、漁師になった父は、半年以上自宅におらず船中の生活だったこともあり、自宅に帰ってきたときには、ずいぶん可愛がってもらったものです。特 […]