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三日月湾に面する二世帯住宅

 鈴本様ご夫婦から相談があったのは、平成も半ばに入った春頃のことです。ご主人の父親が亡くなって3年、「そろそろ、自分たち家族を中心とした住まいに建て替えよう」と思い立ったのです。それまでは、父親が建てた築20年の住まいを […]

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東日本大震災直後、仙台へ向かう(2)

当時のN社は、会社の使命として木造住宅の耐震化を進めていたこともあり、「住まいは命を守るもの」というキーワードが社員に行き渡っていました。震災時の多賀城のプレカット工場の責任者は、社員の命が第一と考え、業務を止め、近くの […]

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東日本大震災直後、仙台へ向かう(1)

NPO法人住まいの構造改革推進協会(住構協)を運営していたこともあり、大きな地震があると3日目の夜には、被災地に入る活動をしていました。倒れた家と倒れなかった家を比較し、その原因を調査するためには、早期に入らないと片付け […]

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地方都市におけるマンション販売支援

かつてのN社の分譲住宅やマンションの販売方法は、徹底した宅配チラシ反響です。小学校学区内をターゲットとして、市場調査を兼ねながら、営業担当自らが街を見て廻るのです。チラシの内容は、第一段階が告知活動、次は問い合わせ、そし […]

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「強・用・美」を提供する

高校の2年間は、理系クラスだったこともあり、大学受験では工学部や理学部が視野に入っていました。芸術系は「センスや能力」だけが見られるような気がしており、そこに自信が持てませんでした。医学系は命に直接係わることが怖かった。 […]

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社員寮建築から賃貸住宅へ

千葉の総武線快速が停車する四街道駅から徒歩10分の場所に、事業を撤退した会社の所有で約200坪の売地があったのですが、メイン取引先の銀行として、土地の有効活用を考えていたのです。金融機関は、いつの時代も業績の良い会社へ設 […]

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自宅の「耐震・断熱改修体験館」を活用して、笑顔を提供したい

私の自宅は、1992年に建てたもので、今年で築33年となります。当時、バブルが崩壊して数年が経っていましたが、いまだ100万戸をはるかに超える新設住宅着工戸数がありました。営業所の責任者だったこともあり、建築条件付き土地 […]

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父からいただいた笑顔

父が亡くなって24年が経ちました。20代で戦争に巻き込まれ、夢であった和菓子屋をあきらめ、漁師になった父は、半年以上自宅におらず船中の生活だったこともあり、自宅に帰ってきたときには、ずいぶん可愛がってもらったものです。特 […]

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会社と会社をつなぐ

40年以上にわたり不動産、住宅業界に居たこともあり、人的なネットワークを築けたことは、私にとって大きな財産になっています。しかし、時期を逃すとせっかくの財産が劣化することも理解しています。N社時代は、上記の業界で役に立つ […]

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日々の生活の中での笑顔「幸せ」を感じる

サラリーマン時代、通勤電車を使って通勤をしていた期間が30年ほどありました。若い時には、こんなものかと考えていませんでしたが、50歳代の後半になると、地獄のような電車の込み具合に、「本当にこんな生活でいいのか」と考えるよ […]

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