「生きたこと」を残したい

 60歳代も半ばを過ぎると、「何のために生きているのか」ということをなんとなく考えるようになります。この世に生きてきた痕跡を残したくなるもので、特に、家族には「ながく記憶に残っていたい」と思うようになります。しかし、ここ数年は残された時間が少なくなってきているとも感じています。

私の父が亡くなって24年になりますが、私の中では、思い出や記憶が色濃く残っています。ホームページの「笑顔デザイナーが行く」というコーナーにも書いているほど、強烈なインパクトを持った人でした。この歳になって、そんな父に憧れているのかもしれません。同じように生きることはなかなか難しいことであり、直ぐにできることは健康寿命をできる限り伸ばすことからではないかと考えています。生きる意味を探し出す時間がほしいのです。模範的な答えは、「自分を成長させるために、この世に生まれてきた」というのでしょう。魂をみがく、世のためにどれだけ役に立ったかなど、答えは様々です。それでも、そのような思いを持って生きるのか、なんとなく一日を過ごすのかでは、ずいぶん違ってくると思うのです。

去年亡くなった友人は、高校までは神童と言われるほど生き生きしていました。勉強もスポーツも第一人者でしたが、大学に入ったころから「何のために生きるか」ということを意識しなくなったように見えました。独身を続け、職も50歳代で離れました。借家に住み続け、65歳を過ぎて空き家になった実家に住むようになりました。家の中は、いろいろなものが乱雑に置かれ、最後は孤独死になってしまいました。亡くなった後も、遺族から「何とかならなかったのか」と言われるほど、後のことは何も考えず、準備もしていない状況であり、残念な生活になっていたようです。この友人を長く見てきましたが、何度も病院へ行くように話をし、いろいろな集まりに誘ってはみても、彼の行動を変えるまでに至りませんでした。残念で仕方ありません。

私には子どもが3人います。2人は既に家庭を持ち、新しい生活をしており、残り1人はまだ同居しています。最終的にはある程度世話にはなるのでしょうが、できる限り子どもたちの負担を減らしたい、これが親の気持ちではないでしょうか。財産は多くはありませんが、個人や会社の相続のことは目に見えるものなので準備ができます。遺品もできる限り残らないようにと、生活する上で最低限のモノを残してここ数年で処分してきました。問題は、やはり不動産と記憶です。

不動産は、自宅と父が残した墓地(永代使用)だけですが、将来どうするのか決めかねています。築50年を過ぎると思われる自宅には3人の子供たちは住まない、引き継がないと考えると、他人に利用していただくか解体するしかありません。自分で設計した建物だけに、利活用していただきたいというのが本音です。それもあって、断熱改修をし、太陽光発電を搭載して光熱費をほとんどゼロにし、民泊施設にもリフォームしてきました。もしかしたら引き継いでくれる人がいるのではないかと、自分なりに考えた結果です。墓地は、父には申し訳ないですが寺に返してしまえばいい。もう一つ、最低でも子どもたちの記憶に長く残ってほしいという思いがあります。まずは、言葉ではなく記録に残そうと、このホームページを充実するようにしています。今は読んでもらわなくても構いませんが、いつか読む機会が来るだろうと勝手に思っています。いずれは、見やすいように漫画に仕上げたいとさえ思っています。しかし、その内容が重要だというだけでなく、胸を張れる行動をいくつ持てるかではないでしょうか。残された時間は長くはありませんが、それほど短くもないとも思いたいのです。これからも、子どもたちに胸を張れる行動ができるか、さらに、どんなに小さくても良いので、世のため、人のための行動ができるかではないでしょうか。社会の中で記憶に残ってほしいとは思わないまでも、今まで縁を繋げてきた人たちの心には、少しでも残りたいものです。

思い通りに行かないのが人生の楽しいところと思っていますが、それでも考え、準備して、行動に移して行こうと思っています。子どもたちにも、縁を繋げている人たちにも、「なんで、こんなの残して行ったのだ」と言われないようにしたいですし、大きな迷惑はかけたくないのです。自分のことばかり書いてはいますが、私がいなくなっても、残された人たちに対して、長く笑顔を作り続けられたら良いなと思っているのです。このように考えるようになったのは、その歳になったということなのでしょうね。

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