箱根駅伝コースを走る!

十数年前、N社時代にメンバーを募り、ランニングクラブを立ち上げました。ほとんどの大会が開かれる日曜日に休暇が取れる住宅設計職や資材の営業、管理部門の社員が会員になってくれたのです。お互い誘いながら、横浜近くの大会に参加しては、「走った後におしゃべりしながら一杯飲む」という活動を楽しんでいました。しかし、東日本大震災の後、メンバーの一人が病に倒れ、大好きなランニングができなくなってしまったのです。闘病中も、またランニングができることを目標に頑張っていましたが、亡くなってしまったのです。彼が新入社員のころ、私の部下だったので、奥様も良く知っていたのですが、告別式の時に「主人は、みんなで箱根駅伝ができないかな、と話していた」というのです。そして、いろんな大会に参加した時の彼のTシャツを「もう着ないから」と数枚いただいたのです。

そんな話をランニングメンバーに話すと、「ぜひやりましょう。K君を箱根に連れていきましょう」となったのです。彼の一周忌を迎えたころに合わせて準備をしていたのですが、何人かが集まり、区間ごとに試走をはじめ、ランニングコースの写真を撮り、着替えやタスキを渡す場所などのマニュアルをつくってくれたのです。それは見事なものです。すぐに、参加メンバーを募り、色違いの襷を3本もつくり、当日を迎えることになったのです。大手町を2人1台の車で朝4時半に出発し、箱根の1区を4区間に分け襷をつなぎます。一人、また一人と中継点に集まり、2区に入るころには数人、箱根の4区が終わるころには20人程度が揃うのです。箱根の5区の山登りは、3チームに分けて全員参加の真剣勝負の駅伝競争です。この坂が本当にきついですね。足が前に出ない、箱根の厳しさを肌で感じるのです。ランニングの好きなメンバーであっても、へとへとです。5時すぎには、芦ノ湖にゴールして、貸し切りのペンションに向かったのです。K君の弔いということあり、遺影を車に乗せ、彼のTシャツを着て襷を繋いでもらい、夜は、追悼とともに反省会を行い、夜遅くまでメンバーで語ったのを思い出します。

はじめは、K君の弔いもあり、一回だけの箱根駅伝を予定していましたが、メンバー全員が「感動した、面白い,最高です」というので、「来年もやりましょう」となったのです。コロナ禍の時期を除いて、1年に一度の大きなイベントになっており、今年もたくさんの方の参加いただき、オリジナルな箱根駅伝を実施したのです。参加者は一日中、笑顔であったことは言うまでもありません。そのたびに、芦ノ湖の空からK君が「まだまだですね。もっと練習しなさい」と笑顔で迎えてくれているような気がしています。

イベントや組織は、最初は盛り上がるが、徐々にテンションが下がっていくことがほとんどです。メンバーもいつまでも同じではなく、事情も大きく変わっていきます。ある程度は仕方ないのでしょうが、イベントや組織が無くなるのは寂しいものですよね。このイベントが続いているのは、ランニングという誰もが参加できるスポーツ、駅伝というチーム競技、好きな時間だけ参加できること、走っている時は主人公になれる、ではないかと思っています。参加者の目的は変わってきているとは思いますが、「楽しい時間」は共通しているのではないかと思います。

定年退職して、N社という組織を離れましたが、このランニングクラブだけは継続しています。その一つが「箱根駅伝」というオリジナルなイベントに参加したいからです。このイベントがあるから、2か月に一度程度「幕張海岸練習会」を開催することもでき、新しいメンバーが増えてきて、楽しい時間を過ごすことができると思っています。また、会社の名刺の裏に「すてき横濱ランニングクラブ」所属と書いていますが、箱根駅伝の話題で盛り上がり、私のビジネスにも大きな力となっています。

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