箱根駅伝を開催
数年前、N社内でランニングという趣味を同じくするメンバーを募り、会社公認のランニングクラブを設立しました。以降、年に数回、各地のランニング大会にメンバー数人で参加していました。私の元部下であったK氏は、中心メンバーの一人でしたが、東日本震災でランニング活動が十分にできなかった間に、病気で亡くなってしまったのです。奥様とは、二人が付き合っていた時から面識があったのですが、葬儀の時に、「主人の夢はみんなで箱根駅伝をすること」だと聞かされたのです。そして、メンバーと話し合い、「大手町から芦ノ湖まで彼を連れて行こう」となりました。
すぐに、オリジナルのタスキを作り、ランニングコースを決めるために、メンバーが数回に分けて下見をしてくれました。タスキを渡す場所(駅から近い)、トイレ、着替える場所、予想タイムスケジュールなどを網羅した、写真入りのマニュアルができました。それは見事な計画書です。そして当日は、彼の遺影を持ち、ランナーが彼のランニング用Tシャツを着て走ったのです。大手町を朝4時半に出発して、芦ノ湖に夕方4時にゴールしました。
1区から4区まではみんなでタスキをつなぎ、駅伝競走を行います。しかし、5区だけは3チームに分かれて、地獄のような坂道を全員に経験していただくのです。経験することで、正月の大学生の駅伝を見て、あの坂を一人で登りきってしまうことに尊敬の念を抱くようになりますから。それだけ苦しいのです。足を上げて前に進んでいるようで、元に戻ってしまうほどの坂なのですが、みんなから応援の声をかけられると、何とか走りきることができるのです。これが楽しいのです。箱根での夜は、メンバーで彼の追悼式を行ったのですが、涙と笑い、感動で、「またやろう」と誓い合ったのです。その後、コロナ渦で中止した時期はありましたが、1年に一度この時期に行っており、今年も10月5日に実施する予定でいます。このランニングクラブは、私が定年退職した後も存続し、より賑やかになっており、うれしい限りです。
この箱根駅伝は、私の人生の中において大きなイベントの一つになっており、高校時代の友人や業務提携先の経営者も誘って、勝手に盛り上っています。名刺の裏側にも書き、話題の一つとして提供できており、仕事の上でも大いに役立っています。千葉市内の幕張海浜公園内のランニングコースにおいて、2か月に一度程度のペースで練習会を開催しています。2時間弱練習した後、スーパー銭湯でサウナを楽しみ、サイゼリアで打ち上げをしながら、次回の箱根駅伝の計画を行うのですが、仕事上のお客様も参加していただけるほどになっています。また、箱根駅伝で走れるように、毎日ウォーキングを行い、週に二度はジム通いと、日々の体重調整を行っています。メンバーとあの時間を共有することが、楽しくて仕方ないのです。
どのようなことでも組織を纏めること、継続することは難しいと考えています。数名のメンバーが、最初だけ盛り上がって、1年もすると集まらなくなる。新しい人が入ってくればいいのですが、なかなか新規に入ってこない。しかし、ランニングクラブのように1年ごとに大きなイベントを行い、そのイベントに合わせ、小さなイベントを繰り返し行うことで、顔を合わせ、話をすることで組織を継続することができると感じています。
定年して、元居た会社と疎遠になってしまう人もいれば、OB会なるものを運営してつながる人もいます。私もOBになったばかりですが、この数か月でゴルフコンペや、飲み会、旅行にも誘われ、できる限り参加しています。それだけN社時代にメンバーに恵まれ、会社内での居場所があったのだと感じていますが、時間が自由に使えるようになればなるほど、楽しいイベントや目的がほしくなると感じています。その時間のために、時間を使うことが楽しいのですね。メンバーがそのように感じれば、組織は継続できるのではないでしょうか。 今年の箱根駅伝は、久しぶりに大手町から芦ノ湖までの全コース(コロナ渦では短いコース)を行います。今から準備して臨む予定です。K社員も芦ノ湖の空から迎えてくれるでしょう。